いろはの「イ」いろはの「す」

以前、手塚治虫さんについて書いた本に「手塚世代」というのがあったと書いてあった。

 日本のメディアが刻んだ歴史は「新聞時代」「ラジオ時代」「テレビ時代」そして現在の「インターネット時代」へと続くのだが、「ラジオ」と「テレビ」の間に「手塚治虫時代」があるというのである。

 瓦版を、紙媒体として「日本における新聞時代の幕開き」とすごく大きくとらえるとすれば、瓦版は天和から元禄にかけて盛況を迎えていたというから、300年以上の歴史があることになる。裏返すとそれを「読むことができる」人がそれだけいたということだから、市民の教養もあったということにもなる。

 しかし「新聞時代」は「電波メディア」の登場で転換期を迎える。

 大正の終わりが近づいた大正14(1925)年の春、日本で初めてラジオの第一声が発信された。その画期的な声こそ…

「あー、あー、聞こえますか」

 であった。

 もうちょっと気の利いた第一声はなかったものかと考えてしまうが、第一声というのはそんなものなのであろう。とにかくそれからずっと日本のラジオは聞こえ続けているのである。かつてはラジオの前に座って聞いていたラジオも小型化し、持ち運びができるようになって利便性が高まった。

 阪神大震災からこのかた「防災」の観点からも再評価されてきているラジオだが、そもそも「あー、あー」と放送される日は、その2年前に発生した未曽有の大災害・関東大震災によって急がされたと言われているのである。できたときから「災害メディア」としての効能が期待されていたわけだ。

 日本でラジオ放送が始まって95年ということになる。

 今回の新型コロナ感染症で、東京から聞こえるラジオ番組などは「在宅」放送がずいぶんあった。音質も全く変わりがないのである。あるとしたら「かけあい」の難しさぐらいのもので、電話会議システムが改良されていったら、ごくごく自然になっていくような気がする。

そしてテレビである。日本のテレビに初めて映ったのがイロハの「イ」だったことはよく知られているところだが、それはラジオの放送が始まった大正14年のクリスマスの事だった。だが日本人は「イ」の字の先をすぐ見ることはできなかった。待つこと28年。悲惨な戦争を挟んだ昭和28年、ついに日本でもテレビ放送が始まる。民放もほぼ同時にスタートしているから、昭和28(1953)年は日本のテレビ文化生誕の年である。今年で67歳である。

かつては人気番組の時間になると「茶の間」に家族が集まって、画面に集中した。ビデオとかDVDとかブルーレイとかそんなものが出来るとは想像もしなかった。翌日の学校で話題にするために、時間になるとテレビの前に座っていた。

昭和39(1964)年の東京オリンピックでカラーテレビの引き合いが一気に増えたと言われるが、まだまだカラーテレビがある家には後光がさしていた。何しろ「カラーテレビさま」は、床の間に鎮座していた。錦の直垂を身にまとっていた。画面を見るために観音開きの扉を開けるものもあった。悔しいから白黒テレビのチャンネルをガチャガチャ回したら「すぽっ」と取れた。テレビの上にペンチを置いて、それでチャンネルを変えた。疑似カラーを経験できると白黒テレビの前に謎のプラスチックボードを取り付けた。カラーになると聞いていたが、滲んで見えただけだった。やがて「ひも付き」のリモコンができて、テレビのダイヤルを「回す」時代は転換期を迎えた。リモコンの「ひも」もなくなり、人々はなぜか部屋のあらぬところに“勝手に”移動するリモコンを捜すために時間をかけることになった。ブラウン管は死語となり、テレビは壁掛け型になった。画質も驚くように向上し、画面の巨大化した。大きなスポーツイベントや出来事があるたびに、それは加速化し、家に数台は当たり前になった。

一方、平成7(1995)年。ウィンドウズ95の衝撃とともにインターネット時代の幕が開ける。

海のものとも山のものとも知れぬこのメディアは「双方向性」というほかにない特性を持っていた。とりわけ世界最大の動画共有サービス「ユーチューブ」は若者の琴線に触れた。新聞情報はネットニュースで受け取り、テレビ番組はあとでネットで視聴し、テレビは視ずに「ユーチューブ」で楽しむ層が増えてきた。「ユーチューバー」という「ちゅーばー(元気もの)」が現れた。

手塚治虫は戦後すぐ活動をはじめ、亡くなった平成元(1989)年まで作品を世に出し続けた。彼は月世界旅行も、空飛ぶ車も、高速の高架道路も予見したが、携帯電話やスマートフォンはさすがに描けなかった。

世の中はなんと急速に変わったことか。たかだか100年前は「紙メディア」だけだったのである。

 テレビはどんどん進化したが、そろそろ平面の画像には限界が来ている。

手塚治虫は「立体テレビ」を描いた。「イ」で始まったテレビメディアの「いろは唄」が、最後の「ス」を迎える前にどれだけ画期的なものを生み出せるか。それともその前に全く違う別のメディアが誕生するのか。

コロナは「◯◯がなくてもできる」ということを示した。ビッグイベントに頼らず「なくてはならない」存在になるためにどう変わるか。テレビメディアが問われている気がする。

2020-06-28 | Posted in UncategorizedNo Comments » 

関連記事

Comment





Comment