感染症の命名

図書館で大正時代の沖縄の新聞を読んでいたら「謎の感染症」に関する連載記事が出てきた。
一面には第一次世界大戦の欧州での戦況が(もちろん写真なしで)伝えられている。
この時期、悪性のインフルエンザ「スペイン風邪」が戦争によって拡散したことはよく知られている話で、沖縄でも「スペイン風邪」の流行があった。
「スペイン風邪」のウィルスは第1次大戦中、アメリカで発生し兵士が運んだとされる。敵軍に疫病が流行していること
がわかると弱った相手を叩くのは歴史の常。だから連合軍側は同盟国側に情報を漏らさぬよう味方にも明らかにしなかった。その結果起こったのが、歴史的大流行である。「スペイン風邪」と言っているのはスペインでの被害が顕著だったからであって、スペインの首都マドリッドでまだ患者が出ていない時期に、スイスなどではすでに流行していたという。
日本でも過去にインフルエンザではないかと思われる流行性感冒の大流行が何度もあった。戦前の内務省が出した「『スペイン風邪』大流行の記録」を読むと、江戸時代だけ見ても10回を超える大流行が記録されている。享保元年(1716年)というから沖縄で組踊りが生まれる少し前、江戸では旧暦三月ごろから「風邪」が流行し、一ヶ月で八万人もの死者が出て棺を作るのが間に合わず酒の空き樽を使ったとある。
人間は昔から疫病や災害に“タイトル”をつけることが好きだったらしく、日本人も例外ではなかったようだ。明和6年(1769年)のものは「稲葉風」。天明4年(1784年)の流行は、当時最強だった関取以上に強いと「谷風」。享和2年(1802年)長崎のオランダ人が持ち込み流行が始まったものは「お七風」。文化5年(1808年)と文政4年(1821年)の流行では、そのときの流行歌をもじって「ねんころ風」「だんほ風」と名付けた。安政元年(1855年)の流行では、ペリーの来航があって『アメリカ風』と名前がついた。無論、ペリー提督が持ってきたわけではない。
琉球が名前をつけられたこともある。
天保3年(1832年)。冬に風邪が流行し、お救い米が出た。このときの流行性感冒の名は「琉球風」と呼ばれた。『琉球の風』ではない。『琉球風』である。たまたまこの年、琉球からの琉球からの使節(正使・尚楷以下98名)が江戸に上っていたため、流行病の名前にされてしまったのである。迷惑なのは江戸上りの使節団で、正使・尚楷が鹿児島について間もなく急逝すると、今度は使節のメンバーが次々に「琉球風」に罹って一行に死者がでてしまった。この使節は琉球に帰ったら未曾有の飢饉に迎えられることになり、二重三重のダメージを受けた上に、ありがたくない名前までつけられてしまった。今回のコロナにも「名称」をめぐる論争がある。忖度の結果「COVID-19」という名前が付けられたが、みんな「新型コロナ」としか言わない。発音するとかわいく聞こえてしまう「COVID-19」はおそらく今後も定着しないだろう。のちの時代になったら「トランプ氏の言い方」が一般化する気もする。
さて、100年前のスペイン風邪である。
当時、沖縄県の人口が55万7000人あまり。スペイン風邪の流行で患者数は10万4400人を超え、死者は1436人に上ったという。1000人あたり2.57人亡くなった計算である。当時から「パンデミー」という言葉はあった。今でいうパンデミックである。
流行時、沖縄でもポスターやチラシで予防などの心得を必死に訴えていた。曰く「掃除して部屋をきれいにし、天気がよければ戸を開け放て」曰く「用心に滅びなし。今健康であっても用心が肝心」曰く「咳するときはハンカチか手ぬぐいで鼻口を覆い、咳する人には近づくな」。
つまり現代でも注意事項としてあげていることを100年前から言っていたのである。しかもわかりやすく。「クラスターがいくつもできるとロックダウンも検討せざるを得ないから不要不急の…」というより、かなり心に響くのではないか。

2020-03-31 | Posted in UncategorizedNo Comments » 

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