しなやかに…

 オリンピックをめぐり、要のポジションにいる人の発言が、世界的に問題になっています。

内閣府には、男女共同参画担当特命担当大臣というポジションがあって、その役目wくぉになっているのが2021年2月現在、五輪担当相である橋本聖子さんなのです

IOCが定めた五輪憲章。オリンピックの憲法のような存在です。

オリンピズムの根本原則の第一項は、

オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、 バランスよく結合させる生き方の哲学である。 オリンピズムはスポーツを文化、 教育と融合させ、 生き方の創造を探求するものである。 その生き方は努力する喜び、 良い模範であることの教育的価値、 社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする。

 五輪憲章は何度も改訂されています。再検討せざるを得ない事象が開催するたびに出てきたということなのでしょう。

 そして根本原則の4つ目の条項と6つ目の条項。

スポーツをすることは人権の 1 つである。 すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。 オリンピック精神においては友情、 連帯、 フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる。

このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、 国あるいは社会的な出身、 財産、 出自やその他の身分などの理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない。

二度にわたって「あらゆる種類の差別」「いかなる種類の差別」を排除すると記しているのです。橋本大臣が二つを兼務している意味も、ごく自然に感じられます。そんな中で起こった今回の「舌禍事件」。口が滑ったでは済まないという声が出るのも当然です。

 「沖縄は女性が強い」

こういうと、これはこれで受け取りようによっては「舌禍」になりそうです。

強いというより、本土とは違う歴史を辿ってきていているのは間違いないと思います。

1980年代、「トートーメー(位牌)継承問題」が連日のようにニュースになった時期がありました。

位牌を受け継ぐことが財産の相続と一体化した「男系社会」の沖縄にあって、直系な女性だから受け継げないのはおかしいと訴えた裁判の判決は、「慣習は男女平等を定めた憲法や民法に違反する」と、女性の訴えを認めるものでした。

一方で、「儒教的な抑圧状況があるかと思えば、民族宗教における主体性が日常的に確保されていることなど、古層と儒教世界と西欧近代の矛盾を併存させているたくましい柔構造が見えてくる」(勝方=稲福恵子「おきなわ女性学事始め」)という部分があり、それこそが「強さ」ということなのでしょう。

焼失した首里城正殿は、木造の三階建ですが、一階は政治の場や儀式の舞台になる「下庫理(しちゃぐい)」。二階は「国王と親族・女官らが儀式を行う大庫理(うふぐい)」でした。正殿の裏には、王一家と女官たちが生活する「御内原(おうちはら)」があり、ここは男子禁制。江戸城の大奥も「御錠口(おじょうぐち)」と呼ばれる扉を境に、将軍以外の男性が入れない「大奥」になっていました。

琉球王府の場合も「御内原」は国王以外は入れない空間で、役向きのことも女官を通さないと王に伝わらなかったそうで、女官の権力は大変なものだったと思います。

琉球王府時代は侍以上の「男」にしか学問を許されていませんでした。女官たちも同様です。しかし彼女たちは経験則を通して様々なことを学んでいったのだと思います。ひそかに書物を手にしていた女性王族や女官もいたのではないでしょうか。誰も分かりません。男子禁制で、内部の出来事は外に出てこないのですから。

江戸の吉原でも特別な存在の花魁は、美しさだけでなく、茶や、華道、香道、美しい文章で手が手紙を書くことができ和歌に通じ、囲碁将棋もできなくてはいけなかった。相当なプライドを持っていたと思います。王府時代、那覇の遊女たちの中には中国からの使節などと相対した女性もいたようです。歌人として知られる吉屋チルーも仲島(今の県立図書館当たり)の遊女でした。どんな境遇であっても素晴らしい才能は今に伝わるのです。沖縄の「したたかさ」「しなやかさ」は、女性の存在、そのものという気がします。

2021-02-08 | Posted in UncategorizedNo Comments » 

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